FFXIVのこれまで、そしてこれから…
11周年おめでとうございます!
そして、これまで楽しませていただき、ありがとうございます!
普段は個人的な感想などはあまりここへ書かないのですが、せっかくの『11周年』『黄金のレガシーのスタート』の節目なので少しだけ書き残しておこうと思います。
そして、今回の『新生祭』も、もう一度だけ吉Pが「何を言いたかったのか?」を振り返ってみようと思います。
その前に『新生祭』はもう終わりましたか?
まだの人はそっと引き返して、終わってから、また後でご覧くださいね!
これまでについて
ここへ来るまでの11年間(過去からだと14年間なのかな?)FFXIVが続いたことは、当たり前ではありません。
『FFXIV』は、実際に一度失敗して終了しています。
その頃、ここ(FF14)へ来る前に私が楽しんでいたMORPG(FF14のようにMMORPGではなかった)は、実はサービスが終了してしまいました。
それが原因となり、ちょうどそのタイミングで新しく始まろうとしていたFFXIVへ移り住んだというのが、実際の経緯です。
ですから、ゲームが長く続くことは当たり前のことではなくて、スタッフの皆さんの努力の賜物なのです。
当時、サービス終了とは「全てが無に帰る」ということだと言うことを強く実感しました。
それは、本当に虚しく、寂しいものです。
振り返ってみると?
当時から〜現在までの記録を見て見ます。
私のヒストリーは、このような感じです。
私は「新生」からスタート!
『ファイナルファンタジーXIV: 新生エオルゼア』を始めたのは、2013年8月18日でした。
本番の開始日は 2013年8月27日ですから、私は今で言うアーリアクセスみたいな感じでスタートしています。
ですが、本当はそれより少し前に始めていたのです。
一度、『Chocoboサーバー』に入って少しの間遊んでいたのですが、『Chocoboサーバー』が当時あまりにも人気で(今でもですが)、同じMORPGから一緒に移籍するはずの仲間たちが入れない事態が発生しました。
そこで、当時はあまり人気がなかった『Fenrirサーバー』へやむなく移ったと言う事情がありました。
このサーバーは無理なくほぼ全員が集まることが出来ました。
発売当時はワールド移転もなく、キャラクターも新規に作り直しましたのでそこがスタートとして記録されています。
結果として、私は今でもその『Fenrirサーバー』にいます。
上の図では、各拡張版(Patchのキリ番2.0〜7.0)直後にアチーブメントの数が常に多いことに気づかれると思います。
当たり前と思うかもしれませんが、その都度飽きられないように開発スタッフ達が努力して来た証だということが分かりますよね?
昔の年表を振り返ると?
「バハムート」は始まって1年後から、「事件屋」は2年後からと意外にも古くからあったことが分かります。
その他にも、「ムーンブリダ」って『暁月』で久しぶりに思い出したのですが、結構古い話だったのですね!(2015年1月)
そして、年表が今に至るまで続いていくわけですが、他人の年表など興味もないでしょうから先へと話を進めます。
もう一度グラフの方を見ると『暁月』のアチーブメント数が異常に多い。それは、「これまでの締め括り」でもあったし、これからスタートする「始まりへの節目」でもあったからでしょうね?
『ハイデリン・ゾディアーク編』の終焉を迎えて、アチーブメント自体の数が増えたのと開発スタッフ自体が充実して来たのが増えた原因だと思います。
ところで、スタッフの方々が本当にやりたかったことが出来るのは、実は『ハイデリン・ゾディアーク編』が終わってから、この『黄金のレガシー』からなのではないかと思います。
これまでは、一度終わってしまったMMORPGを「どうやって復興するのか?」「どうやって延命して成長させるのか?」に必死だったと思います。
ですから、「これからの10年を更に発展して続けられるのか?」というのは、これまで思っていた『やりたかったFFXIV』が、本当にユーザーの皆さんに受け入れられるのかどうか次第ということになるのでしょうか?
11周年を迎えて
2024年8月27日で11周年となりました。
今年は、ちょうど「リセット日」の火曜日に当たったので、そう言う意味では幸先の良いスタートだったのでは無いでしょうか?
さて、せっかくの『11周年記念イベント – 新生祭』ですが、いつもの調子でサッと飛ばし読みしてしまった人も多いと思います。イベントでの吉P(ヨシダ ナオキ氏)は、これまでの振り返り、これからの抱負を述べていました。
ですから、「吉田プロデューサー」がこれからにかける想いをどういう風に話していたのか、もう一度だけ振り返って見てみたいと思います。
さて、なんと言っていたのでしょうね?
何年かの後になって、この言葉に意味があったのか、それとも意味はなかったのか、それを知ることになるでしょうね?
ヨシダ・ナオキ氏 の言葉とともに…振り返り
いろいろ思い出すな〜
今ある道をただ進むことよりも、
輝ける未来を信じて、挑戦を続けることの方が、
何倍も辛いのかもしれない……
でも、それこそが、僕たちから君へ届けられる、
最高の冒険という贈り物になると思うんだ。
これからも、僕たちと一緒に歩んでくれることを、
心から祈っているよ……
いつも本当にありがとう!
そして・・・
想いを伝えたい。聴いてくれるかな?
ここでの『空』とは私たちの世界(ゲーム世界)のことの様です。
この空に打ち上がる花火を、皆さまざまな思いで眺めるだろう。
僕も君も、心に浮かぶことは全く異なるかもしれない……
けれど今、僕らは、確かに同じ空を見上げている。
そのことを、どうか忘れないでほしい。
僕らの旅はまだまだ続く……だからいずれまた会おう、
きっと、どこかで。
異邦の詩人
異邦の詩人は僕ではない、でも想いは同じなのさ!
『遥けき地平に また陽が昇る
波音 風音 歌に乗せ
黄金の光を追いかけて 星の旅を続けよう』
『遥けき地平に また陽が昇る
古びた記憶 胸に秘め いつかの再会 歌に乗せ
祈りとともに届けよう 星の底まで届くよう』
船乗りに伝わる、古い古い歌の一部さ。
その歌詞には、海原を往く同胞の無事を願う一節と、
水底に眠る同胞の安らぎを願う一節、どちらも含まれていてね。
『底』とは、やめていった人達のことかな?
宴の声が、いつかまた我らを巡り合わせるだろう……
そんな言葉で締めくくられるんだ。
この新生祭も、そうした再会の場となれたらと思うよ。
もちろん僕らの再会の場になれば、なお良い。
世界は広く、君の公開は思いもかけない場所へと向かうだろう……
その先でまた同じ空を見られることを、心から祈っている。
フィナーレの花火!
新しい時代の幕開けはどうなる?
新しい時代の幕開けは、実際のところ評価も含めて『波瀾万丈』でしたよね?
意図してそうしたのでしょうが、受け取り方もやはり様々だった様に思います。
つい最近のインタビューでは、吉Pはこう答えています。
出典:PC GAMER
※ 英語なので翻訳して読んでくださいね! なお、ここでは翻訳を表示しています。
要はだな・・・
「これはゲームであり、一種の娯楽であり、娯楽に対する反応は常に何らかの形で賛否両論があるものです」
「2つ目の要因は、『エンドウォーカー』で、長期にわたる物語が大きなクライマックスを迎えたことです。今回は賛否両論があることは、ある程度は予想していました。」
「ですから、私が大きなショックを受けたかどうかという質問であれば、「答えはノーか?」、いえ特にそういうわけではありません。」
「コンセプトは新しい土地への旅でした。新しい大陸に行き、そこで新しい文化、新しい種族、新しいキャラクターに出会うのです。そのため、開発チームと私の両方で、これらの新しい側面をプレイヤーにきれいに、そして非常に注意深く紹介するという点で、このコンセプトを念頭に置いていました。」
「メインシナリオのテンポが遅いと感じた人もいました。そして、もっと速いペースで、よりスリリングなストーリーの部分を進んでいきたいと考えていました。」
「チームが『サイドクエストに転用できたストーリー展開もあったので、もし誰かが(それら)についてもっと知りたいと思ったら、自分の好きな時間にサイドクエストをプレイして、自分のペースで楽しむことができた』と認めている。」
「戦闘コンテンツにもっと早く取り組みたいという人々からのフィードバックは確かにありました。ですから、私たちはそのようなフィードバックを見たので、それを学習プロセスと経験として取り入れていくつもりです。」
「私たちはウク・ラマトを、両親や兄弟に対して少しコンプレックスを抱いている人物として描きました。その自信のなさが、物語の展開の遅さとフラストレーションの感情にも影響していると思います。
「彼女をもっと自信のあるキャラクターとして描いていたら、おそらくこのような状況には遭遇しなかったでしょう。ですから、その点では、私たちはウク・ラマトというキャラクターに対してかなり悪いことをしたと感じています。そして、この経験を通して、プレイヤーにキャラクターを紹介する際には、そういったことを考慮することが重要だと気づきました。」
『黄金のレガシー』のスタートは、みなさんはどう感じてどう思ったのでしょう?
私は、ここまでの話が終わって、全く新しい話を書き出すために「最初の展開」をどうすべきかをずいぶんと悩んだのでは無いかと思いました。
今回、『黄金のレガシー』を遊んでみた感想は、映画でも時々見かける手法『最初にまず結論を持ってきて、そこへ至った経緯を徐々に事象、人物とともにそれを通して語っていく』という形式にしたのではないかと思いました。
だから、今回語られなかった多くの人物や謎は、これから徐々に解き明かされていくことになるのでしょう。
物語が徐々に進展していく「新生」の時代とは、ちょうど真逆の手法を取りましたね?
さて、これがうまく行くのか否かは、これから先(2年間?)の展開次第です。
この手法のメリット(長所)は「最初のインパクトの強さ」です。みなさんも刺激的で大きな衝撃を受けたと思います。
ですが、インパクトが強過ぎて、下手をすると間延びして、後の話が非常にダルくなることがあることが、この手法のデメリット(短所)です。どうやって皆を上手く引き込んでいくのかは、腕の見せ所では無いでしょうか?
個人的にそう言った意味では、今の時点でキャラクターの好き嫌いを述べるのはまだまだ早い気がします。実際、どの人物に対しても「人物像」はさほどは語られていません。
話題になった「スフェーン」でさえも、今回登場したのは人ではなくてデジタルの産物です。まだまだ、これからどんな人だったのか、誰がデジタルで製作したのか?など、いろいろな謎、そして状況が見えて来ると思います。
あ!もちろんデジタルであって人ではないから、評価に値しないと言うことではありません。
元となる人、デジタルを作った人も含めて、全ての全貌を見てからでないと、今現在の時点では何も語れないということです。
きっと、そこで初めて登場人物が評価されることでしょう。
もっとも、これから徐々に全貌が明かされた際には、やはり好き嫌いは発生するかもしれませんね?
それは仕方ないことかもしれません。
おわりに
これまでの11年間を楽しませていただいたFFXIVには、感謝の念にたえません。
これからについては、期待半分、不安半分ではあるのですが、どんなMMORPGであろうと続かなければ、そこで終焉を迎えます。
かつて終焉を経験して来たからこそ、FFXIVがこのままずっと永遠に続いて欲しいと願っています。
永遠
とうとう見つかったよ。
なにがさ? 永遠というもの。
没陽(いりひ)といっしょに、
去(い)ってしまった海のことだ。
『アルチュール・ランボー』
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